第2次世界大戦

連合軍は南西太平洋では、ニューギニアからフィリピンへ向かい、同時に中部太平洋では、ラバウル、トラックを孤立させ、サイパンへ向かう。●国内では1月、初の強制「建物疎開命令」が出された。政府は米軍による空襲を必至とみて、軍需工場や人の疎開を優先しようとした。これはドイツ・ハンブルクの大空襲やベルリン市の100万人疎開を教訓としたのである。そして大本営はその対策として、中国における連合軍航空基地破壊のための「大陸打通作戦」を1/24下令した。
●太平洋方面では2月、連合艦隊の拠点であるトラック ...

第2次世界大戦

日本軍、ニューギニアで敗北し、ガダルカナル島からも撤退する。ドイツ軍はソ連軍との戦いに敗北する。●ガダルカナル撤収は、2/1、2/4、2/7の3次にわたり毎回駆逐艦20隻で実施された。この結果、陸軍約9,800名と海軍約830名が撤収できた。だが6ヶ月におよぶガダルカナル島の戦いでは、陸軍約20,800名、海軍約3,800名が戦没した。
●またニューギニアでは、在ギルワとブナ支隊が、撤収命令(1/13)により、大発動艇(だいはつどうてい=陸軍上陸用舟艇《通称・大発》)によりラエ方面に転進 ...

第2次世界大戦

日本軍はニューギニアとガダルカナルで敗北する。連合軍の対日反攻が始まる。ドイツは、北アフリカ戦線、コーカサス戦線で戦い、スターリングラードの戦いに敗北する。(上写真・部分)昭和17年10/5、ソロモン群島キゾ島(ベラ・ラベラ島南東の島)上空を飛ぶアメリカ軍B-17重爆撃機。このB-17を日本軍はなかなか撃墜することができなかった。(写真出典)「写真・太平洋戦争」雑誌「丸」編集部 編。潮書房光人社2015年刊目次昭和17年概要★ミッドウェー海戦(6/5)敗北の影響(海軍)●ミッドウェー海戦の敗北( ...

第2次世界大戦

アメリカによる初の日本本土爆撃(4/18)は、陸海軍に一大衝撃を与えた。それによりミッドウェー作戦は陸海軍あげての重要作戦となった。●1942年に入ると、アメリカ空母部隊による航空機攻撃が頻発するようになった。2/1、ギルバート諸島のマキン島、マーシャル諸島のウォッゼ、クェゼリン、マロエラップ、ミレ、ヤルートなどの要地が、米空母艦載機による爆撃と巡洋艦などによる艦砲射撃をうけた。つづいて、2/20ラバウル、2/24ウェーキ、3/4には日本本土に近い南鳥島が攻撃を受けた。(左写真)ミッドウェー島の ...

第2次世界大戦

帝国陸軍、勝利に隠された捕虜虐待と処刑、華僑虐殺。フィリピン、シンガポール、インドネシア。●この②では、1942年(昭和17年)の5月頃までを記述した。開戦以来わずか半年で日本軍は広大な地域を占領した。特に日本は、蘭印と英領ボルネオを占領したことで、蘭印で産出される南方原油(スマトラ・ジャワ・ボルネオ)の40%に当たる167万キロリットル(昭和17年度)を確保し、本土に輸送することができた。
 前年の昭和16年8月、日本は各国による石油の禁輸処置により、石油の輸入が完全に停止した。この時 ...

第2次世界大戦

海軍によるハワイ奇襲作戦は、南方作戦を支援するためにあった。海軍の第1段作戦である。●このページでは海軍を中心に述べる。海軍は「第1段作戦」を決定した。そのポイントは、海軍航空隊による敵航空兵力撃滅戦にあった。海軍航空隊は、陸軍によるマレー半島、フィリピン、蘭印(インドネシア)等への進攻のまえに、敵航空兵力の撃滅戦を成功させなければならなかった。ハワイ奇襲作戦も南方作戦を支援するための敵航空兵力の撃滅戦の一環だったのである。山本五十六連合艦隊司令長官は、開戦劈頭のハワイ奇襲に失敗すれば、すべては ...

第2次世界大戦

大日本帝国は天皇の名において、昭和16年12月8日「対米英宣戦の大詔」を発した。「対米英宣戦の大詔」。ついに日米英開戦である。下がその原本の画像である。下段で、「米英に対する宣戦の詔書」の読みと意味を書き出し、句読点を追加した。また文章が長く読みも難しいので、機械音声による読み上げも試した。また原文は国立公文書館にリンクしておいたので確認してください。「米国及英国ニ対スル宣戦ノ件・御署名原本・昭和十六年・詔書一二月八日」(出典)「公文書にみる日本のあゆみ」国立公文書館

「詔書」

第2次世界大戦

海軍は、太平洋戦争開戦後の12/16、世界最大の戦艦大和を竣工させた。 アメリカ相手の戦争では、陸軍ではなく海軍によってその勝敗が決まる。海軍が最後まで対米英戦に反対したのは、自国の海軍力ではアメリカに勝てる見込みがなかったからである。このページ②では、最初にヨーロッパの概況と独ソ戦の戦況を述べ、国内では東条英樹内閣が成立した頃(11月頃)までを記述した。
 海軍は最後まで対米英戦に反対したが、最後にはついに開戦の決定に従う。陸軍を中心とする開戦論の前提は、ドイツ軍の勝利であり不敗である ...

第2次世界大戦

6/22ドイツ、ソ連に侵攻する。日本はその2ヶ月前、日ソ中立条約を結ぶ。日本は3国同盟にソ連を加えた4カ国で、アメリカに対抗しようと夢想した。だがドイツのソ連侵攻でその目論見は崩れ去った。ついに日本はアメリカ・イギリスと戦争する道を選択する。世界大戦のはじまりである。
●このページ①では、6/22の独ソ戦開始までの半年間を記述した。
(上写真 部分)真珠湾奇襲攻撃で燃え上がる米艦船 1941年12月7日 撮影者不明 ハワイ・真珠湾(出典)「目撃者」朝日新聞社1999年刊目次昭和1 ...

第2次世界大戦

ドイツ軍大攻勢、6/14フランス・パリ陥落、イギリス本土爆撃開始。日本はドイツの圧倒的な戦勝を見て、3国同盟(=日独伊軍事同盟)締結にむかう。●日本では、前年の独ソ不可侵条約締結により、ドイツとの3国同盟締結論議は立ち消えになってしまった。だがこの年のドイツ軍によるヨーロッパ大攻勢(侵略)は、3国同盟推進派を勢いづかせた。日本は、ドイツのヨーロッパ制圧によって、空白となったアジアのオランダ、フランス、イギリスの植民地を支配できると考えたのである。
●だが3国同盟はアメリカを敵とする軍事同 ...

第2次世界大戦

日本は欧州戦争には介入せず、日中戦争解決に邁進すると表明。先ずイギリスの国民政府支援ルート(援蔣ルート)を叩こうとする。だがソ連と大規模国境紛争を起こし、敗北する。 日本はこの時点ではアメリカとの関係悪化は避けたかった。日本は戦争に必要な石油・鉄などを40%以上もアメリカに依存していたからである。
●日本は先ずイギリスに圧力をかける。重慶(国民政府の遷都)攻略のために、「援蔣ルート」の一つである香港(英植民地)ルートを封鎖し、さらにビルマ(ミャンマー・英植民地)ルート攻略を計画する。