アジア・太平洋戦争

日本は、中国の首都南京を陥落させ、国民政府が降伏することを期待した。だが中国民衆は抗日を支持、国民政府は徹底抗戦を決意する。

(上新聞)昭和13年10/27の東京朝日新聞号外「武漢陥落」(出典)「朝日新聞に見る日本の歩み」朝日新聞社1974年刊

 日本はこの年、御前会議で支那事変(日中戦争)に対する帝国の根本方針を定めた。日本は、中国国民政府が日本に対し反省して翻意しなければ、「国民政府を相手とせず」にこれを壊滅させ、あらたな新興勢力を作りこれと手を結ぶと決めた。日本は国民政府との和平 ...

アジア・太平洋戦争

日本、南京城陥落において「南京大虐殺」を引き起こす。 アメリカをはじめ国際連盟は、日本の中国に対する軍事行動を「侵略」と呼び非難した。また国際連盟は、海軍による南京をはじめとする無差別都市爆撃に対して、その残虐性から日本に対する非難決議も行った。そしてそんななか日本軍は、南京城陥落において「南京大虐殺」まで引き起こすのである。
上写真「南京大虐殺。刑場に運ばれる中国人捕虜」(出典:「世界の歴史15」中央公論1962年刊)
●現在の日本政府の「南京事件」に対する公式見解は以下のよう ...

アジア・太平洋戦争

近衛内閣は盧溝橋事件の不拡大方針をくつがえし、華北派兵の政府声明を発表する。●日本は、盧溝橋事件をきっかけに日中戦争に突入した。これはまさに日本(軍部)が戦争を望んだことであった。そして昭和12年(1937年)11月17日、「勅令」をもって「戦時大本営條例」を廃止し、軍令第1号をもって「大本営令」を公布し、11月20日「大本営」を皇居内に設置した。大本営は日本軍の最高統帥機関であり最高司令部であった。ここに日本軍の戦時体制は整ったのである。
(写真)昭和12年11/24第1回大

アジア・太平洋戦争

日本の国策は、中国大陸における権益確保と南方海洋に進出発展することに決定する●2.26事件後、皇道派あるいはそれに近いと目された将軍たちは現役を追われた。そして陸軍の「粛軍(=粛清)」が行われ「新統制派」が形成されていく。そして軍部は5月に「軍部大臣及次官の現役武官制」を復活させ、陸軍・海軍大臣就任資格を現役の大将・中将に限定させた。これは現役を追われた皇道派の復活を排除するとともに、内閣からの関与を排除し、陸軍の目指す政治改革のため、軍部の独立と政治的発言力の強化に利用していくのである。軍は「 ...

アジア・太平洋戦争

陸軍の「統制派」は、事件を起こした「皇道派」を一掃し、日本は陸軍を中心に戦争国家改造に突き進む。 前年まで右翼によるテロ未遂事件や陸軍青年将校による政府転覆計画が連続して発覚していた。そしてついに陸軍内部の皇道派である急進過激派は、2.26事件(昭和11年2月)を起こした。帝国陸軍といっても派閥争いは激しく一枚岩であったわけではない。ここでは、「2.26事件」と、旧帝国陸海軍の「統帥権思想」について述べる。
●現代において特に問題なのは、現実に存在する軍隊(自衛隊)を日本国憲法に明記させ ...

アジア・太平洋戦争

昭和9年、日本国内では大冷害が、東北6県を襲う。急増した欠食児童と娘の身売り。 昭和10年8/18、永田鉄山少将(陸軍省軍務局長)が軍務局長室で相沢三郎(歩兵中佐)に刺殺される事件が起きた。これは陸軍内部の「皇道派」と「統制派」の派閥争いでもあったが、この争いは翌年の2.26事件につながり、陸軍内部を揺るがした大事件の前兆だった。
●次に年表では日本国内の政治・経済・事件を、昭和9年から昭和10年までを書き出した。
(写真)凶作にあえぐ東北の農村。左:青森県新城村で行われた部落相 ...

アジア・太平洋戦争

日本は大蔵大臣が高橋是清に代わり、財政・金融政策を変え不況を克服していった。 ここでは最初に経済の数字をあげる。日本は大蔵大臣が井上準之助から高橋是清に代わり、財政・金融政策を変えた。そして世界恐慌のなか日本はいち早く不況を克服したといわれている。この時代を理解するためにも、ある程度経済の意味するところを知っておきたい。
●次に年表では昭和8年の日本国内の政治・経済・事件を書き出した。この期間の特筆すべきことは、中国大陸では日本軍が満州国を足場にして熱河省、河北省へ侵攻したことである。こ ...

アジア・太平洋戦争

日本は1931年9月、政治・経済・軍事面において、歴史の転換点を迎えた。それは陸軍による満州武力侵攻(満州事変)の開始であり、国内では右翼と軍部による政府転覆計画とテロの続発である。 われわれはここで知ることができる。軍部は政府を「統帥権干犯」であるとして、軍部に対する干渉を拒否し侵略戦争に突き進んだが、根本において天皇に対する「統帥権干犯」を犯したのは軍部であったことである。
●年表では日本国内の政治・経済・事件を、昭和6年(1931年)から昭和7年(1932年)まで書き出した。特に満 ...

アジア・太平洋戦争

日本は最悪の不況時代を迎え社会不安が増大するなか、「統帥権干犯」問題で右翼による濱口首相狙撃事件が起きた。ここでは最初に、経済的視点から大きな経済の課題であった「金解禁」について要点を述べる。この時代の日本は、政治的にも経済的にも世界のなかで重要なポジションにいたと思われる。ロンドン海軍軍縮会議、金本位制復帰、そして金輸出再禁止など、日本は世界(政治・経済)と協調しようとしていたのである。

(上新聞)11/15東京朝日新聞(出典)「朝日新聞に見る日本の歩み」朝日新聞社1974年刊

アジア・太平洋戦争

1929年(昭和4年)10月アメリカに端を発する世界恐慌の中、日本は金本位制に復帰したが、ついに日本は昭和恐慌をむかえてしまう。 最初に日本貿易の中心的産業であった生糸・絹織物産業の衰退と電力業の発展を書く。この生糸・絹織物産業の衰退を決定づけたのは、アメリカの大恐慌とレーヨンの市場参入によることが大きかった。そして電力業の発展は「動力革命」といわれ、日本の製造業全体に大きな影響を与えた。
●年表は昭和4年の政治・経済・事件を書き出した。昭和初期といっても、昔のことではない。現代の多くの ...

アジア・太平洋戦争

昭和天皇即位大礼(11/10)。天皇、「高御座」で即位の勅語。「国体」とは。●昭和3年(1928年)11月10日、秋晴れの京都で即位大礼が挙行された。この国家行事の意味するところは、大礼使設置の際の内閣総理大臣の次の訓示にあらわされている。「我ガ国民ハ国ヲ挙リテ深ク思ヲ建国ノ昔ニ潜メ皇位ノ神聖ナルヲ仰ギ国体ノ尊厳ナルヲ念(おも)ヒ感奮踴躍相率ヒテ忠愛ノ至情ヲ捧ゲ宝祚ノ無窮ヲ禱(いの)リ国運ノ隆昌ヲ祝セントス」

(新聞)11/11東京朝日新聞(夕刊)(第1)(出典)「朝日新聞社に見る日本の歩み ...

アジア・太平洋戦争

「震災手形」と不良債権問題が台湾銀行を破綻に追い込み、内閣が潰れる。 経済面で象徴的なことは、戦争成金といわれた「鈴木商店」の台湾銀行がからむ不正融資(癒着)による経営破綻である。この鈴木商店は当時三井物産を凌駕する日本一の総合商社となった会社であり、現在においてもその流れを継ぐ有名企業は多くある。
●政治的には、1927年(昭和2年)田中義一(陸軍大将)内閣(政友会)の成立が大きい出来事である。その考えは「対外的には軍事力を行使しても中国における権益は守ること」(山東出兵・済南事件)で ...