1931年(昭和6年)9/18「満州武力侵攻」、1932年5/15、犬養首相暗殺「5.15事件」

2022年6月14日アジア・太平洋戦争

日本は1931年9月、政治・経済・軍事面において、歴史の転換点を迎えた。それは陸軍による満州武力侵攻(満州事変)の開始であり、国内では右翼と軍部による政府転覆計画とテロの続発である。
 われわれはここで知ることができる。軍部は政府を「統帥権干犯」であるとして、軍部に対する干渉を拒否し侵略戦争に突き進んだが、根本において天皇に対する「統帥権干犯」を犯したのは軍部であったことである。軍部は、国内では軍部による独裁政権、国外では武力による領土獲得をめざした。軍事独裁国家誕生を目標としたのである。
●年表では日本国内の政治・経済・事件を、昭和6年(1931年)から昭和7年(1932年)まで書き出した。特に満州事変(1931年9/18)と満州国樹立(1932年3/1)は、「アジア・太平洋戦争」の始まりである。そして日本は、総理大臣に対するテロの続発により、陸軍が実権を持つ軍国主義の道に進んだ。
(上右写真)1931年9/21竜山駅を出動する第20師団(京城)歩兵七七連隊。(左写真)1931年11/17広島宇品港を発つ第8師団(弘前)の兵士を、広島市愛国婦人会、青年団、市民ら多数が見送った。-写真・毎日新聞社(出典)「昭和2万日の全記録」講談社1989年刊

1931年(昭和6年)の動き。軍部はついに満州事変(9/18)を引き起こした。

濱口首相は前年(昭和5年)の11月に右翼のテロで重傷を負った。幣原外相が首相代理として内閣を運営したが、民間右翼団体と軍部若手将校らによる政府転覆行動が活発となり、三月事件(軍事政権樹立を目ざした旧日本陸軍青年将校によるクーデター計画3/20)が発覚し、未遂に終わった。そんなおり退院し無理な登院を続けていた濱口首相は、病状を悪化させ、内閣は総辞職した。元老・西園寺公望は、暗殺による政権交代があれば暗殺を奨励するようなものだとして、若槻礼次郎(民政党)への大命降下を奏請したのであった。
●そして後継として民政党・若槻礼次郎内閣(第2次)が成立した(4/14)。この内閣は前内閣の政策を踏襲すると表明し、外相は幣原喜重郎、大蔵大臣は井上準之助、陸軍大臣は南次郎陸軍大将とした。しかし関東軍の満州に対する武力侵攻の動きは、実行段階を迎え、ついに満州事変(9/18)を引き起こした。

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1931年(昭和6年)9月18日満州事変勃発(柳条湖事件・9.18事件)・15年戦争の発端

この柳条湖事件は、関東軍高級参謀板垣征四郎大佐と作戦主任参謀石原莞爾中佐が中心となって計画した謀略事件である。軍部のもくろみは、国内では軍部による内閣独裁という国家改造を行い、満州では武力行使を行い領土化するというものだった。実際「桜会」の橋本欣五郎中佐らは、柳条湖事件と同時に国内クーデターを決行する予定だったが、発覚して未遂に終わった(10月事件)。

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1931年(昭和6年)10月日本軍は国際連盟理事会の満州撤退勧告を無視して軍を進める。

国内では、橋本欣五郎中佐らによるクーデター計画が発覚し計画は未遂に終わった(10月事件)。この計画の規模は後の2.26事件よりはるかに大きかったといわれる。そして12月13日犬養毅(いぬかい-つよし)内閣が成立する。犬養毅は、陸軍大臣に急進派が推す荒木貞夫中将(皇道派)、内閣書記官長に大陸積極論者である森恪を登用した。荒木貞夫中将は、10月事件(クーデター計画)では、首相に目された人物であった。犬養毅はこの人事で軍部をコントロールしようとしたのだが、逆に軍部が発言力を強めていったのである。犬養首相は翌1932年「5.15事件」で暗殺される。

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1932年(昭和7年)第1次上海事変(1/28)が勃発、3/1には満州国建国宣言。国内ではテロが続発する。

●1月、第1次上海事変(1/28)が勃発した。これは関東軍が、満州への列国の注意をそらすために起こした陽動作戦だった。上海では満州事変後、激しい日貨排斥運動が展開されており、上海はフランス租界、日米英などの共同租界が設けられ、列国にとって対中国貿易の重要な都市であったからである。戦闘は日本海軍陸戦隊と中国第19路軍の激戦となり、日本政府は増員兵力を派遣したが苦戦をしいられ、列国の勧告によって停戦した。その間関東軍は、1/3錦州、2/5ハルビンを占領し、満州の主要都市を制圧し中国東三省を独立(2/18)させ、ついに陸軍の思惑通り3/1満州国建国宣言を行ったのである。

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1932年(昭和7年)5月15日5.15事件勃発。海軍青年将校と陸軍士官学校生徒の一団が首相官邸を襲い犬養首相を殺害した。

●ついに5.15事件が起きた。5/15、海軍青年将校と陸軍士官学校生徒の一団が首相官邸を襲い犬養首相を殺害したのである。この事件は血盟団事件とつながっており、そのテロのうねりは後の2.26事件へと向かうのである。
●犬養内閣は総辞職し、政友会は鈴木喜三郎を総裁にたて政権を待ち受けていた。しかし軍部は政党内閣に反対し、元老西園寺公望と天皇側近の重臣たちも軍部の圧力に妥協し、穏健派で陸軍にも受け入れられる前朝鮮総督で予備役海軍大将の斎藤実を後継首相としたのである。そして斎藤実新内閣(挙国一致内閣)が成立(5/26)した。

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