軍 人 勅 諭
我国の軍隊は世々天皇の統率(とうそつ)し給(たま)ふ所にそある昔(むかし)神武天皇(じんむてんのう)躬(み)つから大伴(おおとも)物部(もののべ)の兵ともを率(ひき)ゐ中国
(なかつくに=大和)のまつろはぬものとも
(=服従せぬものども)を討(う)ち平(たいら)け給(たま)ひ高御座
(たかみくら=皇位)に即(つ)かせられて天下
(あめのした=大八州=おおやしま)しろしめし給ひ
(=深く心に入れて治め給う)しより二千五百有(ゆう)餘年(よねん)を經(へ)ぬ此(この)間(あいだ)世の樣(さま)の移り換(かわ)るに隨(したが)ひて兵制の沿革
(=軍隊制度のうつりかわり)も亦(また)屡(しばしば)なりき古(いにしえ)は天皇躬(み)つから軍隊を率ゐ給ふ御(おん)制(おきて)にて時ありては皇后皇太子の代(かわ)らせ給ふこともありつれと大凡(おおよそ)兵権
(へいけん=軍を指揮する権能)を臣下に委(ゆだ)ね給ふことはなかりき中世に至りて文武(ぶんぶ)の制度皆(みな)唐国(からくに)風(ぶり)に傚(なら)はせ給ひ六衛府
(ろくえふ=平安初期以降、左右近衛府・左右衛門府・左右兵衛府の六つの衛府)を置き左右馬寮
(さうめりょう=左馬寮右馬寮で、馬の飼養、調練、馬具等馬の一切に関することを司る役所)を建て防人
(さきもり=崎守の義で、九州の要塞を防禦守備する海防の兵)なと設(もう)けられしかは兵制(へいせい)は整ひたれとも打続ける昇平
(しょうへい=国運が盛んで、世の中が平和に治まっていること)に狃(な)れて朝廷の政務も漸(ようやく)文弱
(ぶんじゃく=文芸に流れて華美柔弱になること)に流れけれは兵農(へいのう)おのつから二に分れ古(いにしえ)の徴兵
(ちょうへい=ここでは、大化の改新以後定められし壮丁((そうてい=夫役または軍役にあたる壮年の男子))を徴集したる兵士をいう)はいつとなく壯兵
(そうへい=強壮にして兵士たらんことを出願したる兵)の姿に變(かわ)り遂(つい)に武士となり兵馬(へいば)の権は一向
(ひたすら=ひとえ)に其武士ともの頭梁
(とうりょう=首領の意で、ここでは源頼朝以下の武将をさす)たる者に歸(き)し世の亂(みだれ)と共に政治の大権も亦(また)其手に落ち凡(およそ)七百年の間武家の政治とはなりぬ。世の樣(さま)の移り換りて斯(かく)なれるは人力(ひとのちから)もて挽回
(ばんかい=ひきかえ)すへきにあらすとはいひなから且
(かつ=一方では)は我(わが)國體
(こくたい=国柄、國の特質をいう)に戻り且は我(わが)祖宗
(そそう=皇祖皇宗で、天照大神及び歴代の天皇)の御(おん)制(おきて)に背(そむ)き奉(たてまつ)り浅間
(あさま=なさけない)しき次第なりき降りて弘化
(こうか=仁孝・にんこう天皇の年号)嘉永
(かえい=孝明・こうめい天皇の年号)の頃より徳川の幕府其(その)政(まつりごと)衰(おとろ)へ剰
(あまつさえ=その上さらに)外国の事ども
(=徳川幕府の末に當り、米・英・露などと外交のことがしきりに起こったこと)起りて其(その)侮
(あなど=軽蔑)りをも受けぬへき勢に迫りけれは朕か皇祖
(おおじのみこと=天皇の御祖父)仁孝天皇皇考
(ちちのみこと=天皇の御父)孝明天皇いたく宸襟
(しんきん=大御心)を悩まし給ひしこそ忝
(かたじけな=面目ない)くも又(また)惶
(かしこ=おそれおおい)けれ然るに朕(ちん)幼(いとけな)くして
(=天皇践祚・せんそ=皇位継承の時、御年16)天津日嗣
(あまつひつぎ=皇位)を受けし初(はじめ)征夷大將軍
(=徳川将軍慶喜公)其政権を返上し大名小名
(だいみょう、しょうみょう=領地、知行の持高一萬石以上のものを大名、それ以下を小名という)其版籍
(はんせき=土地と人民)を奉還し年を經(へ)すして海内
(かいだい=国内・天下)一統(いっとう)の世となり古(いにしえ)の制度
(=中古天皇親政の郡県制度)に復(ふく)しぬ是(これ)文武の忠臣良弼
(りょうひつ=忠良なる輔佐)ありて朕を補翼
(ほよく=たすける)せる功績(いさお)なり歴世
(れきせい=代々・歴代)祖宗(そそう)の専ら蒼生
(そうせい=人民)を憐(あわれ)み給ひし御(ご)遺澤
(ゆいたく=残された恩澤(徳))なりといへとも併(しかしながら)我(わが)臣民の其心に順逆
(じゅんぎゃく=正と不正)の理(ことわり)を辨(わきま)へ大義
(たいぎ=天子又は国家に対する臣民の義理)の重きを知れるか故にこそあれされは此時(このとき)に於(おい)て兵制を更(あらた)め我國の光を耀(かがや)さんと思ひ此(この)十五年か程に陸海軍の制をは今の樣(さま)に建(たて)定(さだ)めぬ夫(それ)兵馬(へいば)の大権は朕か統(す)ふる所なれは其(その)司々
(つかさゞ=ここでは軍事の職務)をこそ臣下には任(まか)すなれ其大綱
(たいこう=根本的な事柄・大要)は朕(ちん)親(みずから)之を攪(と)り肯(あえ)て臣下に委(ゆだ)ぬへきものにあらす子々孫々に至るまて篤(あつ)く斯(この)旨(むね)を傅(つた)へ天子は文武の大権を掌握するの義を存(ぞん)して
(=正しき条理を維持する)再(ふたたび)中世以降の如き失體(しったい)なからんことを望むなり朕は汝等(なんじら)軍人の大元帥
(たいげんすい=全軍を統率する天皇の地位)なるぞされは朕は汝等を股肱
(ここう=手足とも頼みにするの意)と頼み汝等は朕を頭首と仰きてそ其親(したしみ)は特に深かるへき朕か國家を保護して上天
(しょうてん=神霊)の恵(めぐみ)に應(おう)し祖宗の恩に報いまゐらする事を得(う)るも得(え)さるも汝等軍人か其職を盡すと盡さゝるとに由(よ)るそかし
(=意味を強めた助調)我國の稜威
(みいづ=尊厳なる威光)振(ふる)はさることあらは汝等(なんじら)能(よ)く朕と其(その)憂(うれい)を共にせよ我(わが)武(ぶ)維(これ)揚(あが)りて
(わがぶこれあがりて=わが国の武名四方に発揚して)其(その)榮(えい)を耀(かがやか)さは朕汝等と其(その)誉(ほまれ)を偕(とも)にすへし汝等皆其職を守り朕と一心になり力を國家の保護に盡さは我國の蒼生(そうせい)は永く太平の福(さいわい)を受け我國の威烈
(いれつ=威勢)は大に世界の光華
(こうか=ひかりかがやき)ともなりぬへし朕斯(かく)も深く汝等軍人に望むなれは猶(なお)訓(おしえ)諭(さと)すへき事こそあれいてや之を左に述へむ
一、軍人は忠節(ちゅうせつ=忠義の心を変ぜず君の為に心力をつくす)を盡すを本分(ほんぶん=当然なすべき職分)とすへし凡(およそ)生(せい)を我國に禀(う)くるもの誰(たれ)かは國に報(むく)ゆる の心なかるへき况(ま)して軍人たらん者は此心の固(かた)からては物の用(よう)に立ち得(う)へしとも思はれす軍人にして報國の心(こころ)堅固ならさるは如何(いか)程(ほど)技(ぎ)藝(げい)に熟(じゅく)し學術に長(ちょう)するも猶(なお)偶人(ぐうじん=人形)にひとしかるへし其隊伍(たいご=隊列の組)も整ひ節制も正く(せっせいもただしく=ここでは、指揮命令進退懸引等統御の法厳正にして)とも忠節を存せさる軍隊は事に臨みて烏合(うごう)の衆に同(おなじ)かるへし抑(そもそも)國家を保護し国権を維持するは兵力に在れは兵力の消長(しょうちょう=盛衰)は是國運の盛衰なることを辨(わきま)へ世論(せいろん=世間一般の議論)に惑はす政治に拘(かかわ)らす只〃(ただただ)一途(いちず)に己か本分の忠節を守り義(ぎ=ここでは忠義)は山嶽(さんがく)よりも重く死は鴻毛(こうもう=おおとりの毛で、極めて軽きにたとえていう)よりも輕しと覺悟せよ其(その)操(みさお)を破りて不覺を取り(ふかくをとる=油断して失敗すること)汚名を受くるなかれ
一、軍人は禮儀(れいぎ)を正(ただしく)くすへし凡(およそ)軍人には上(かみ)元帥(げんすい)より下(しも)一卒(いつそつ)に至るまて共間(そのあいだ)に官職
(かんしょく=将官、上長官、士官、下士、兵卒の五種を官といい、参謀総長、元帥、司令官、団長、隊長以下を職という)の階級ありて統屬(とうぞく=上のものが能く統・す・べをさめ、下のものが能くつき従うこと)するのみならす同列同級とても停年(ていねん=同一官職にとどまる年月)に新舊(しんきゅう)あれは新任の者は舊任の者に服從すへきものそ下級のものは上官の命(めい)を承(うけたまわ)ること實(じつ)は直(ただち)に朕か命を承る義なりと心得よ己か隸屬(れいぞく=上官に従属する)する所にあらすとも上級の者は勿論(もちろん)停年の己(おのれ)より舊(ふる)きものに對(たい)しては總(す)へて敬禮(けいれい=敬意を表して礼をすること)を盡すへし又上級の者は下級のものに向ひ聊(いささか)も軽侮驕傲(けいぶきょうごう=下を賤しめ、下に高ぶること)の振舞あるへからす公務の爲に威嚴を主(しゅ)とする時は格別なれとも其(その)外(ほか)は務めて懇(ねんごろ)に取扱(とりあつか)ひ慈愛を專一(せんいち)と心掛け上下(しょうか)一致して王事に勤勞せよ若(もし)軍人たるものにして禮儀(れいぎ)を紊(みだ)り上(かみ)を敬(うやま)はす下(しも)を恵(めぐ)ますして一致(いっち)の和諧(わかい=仲よくして乱れざること)を失ひたらんには啻(ただ=たんに・・だけではなく)に軍隊の蠹毒(とどく=実毒)たるのみかは國家の爲にもゆるし難き罪人なるへし
一、軍人は武勇(ぶゆう)を尚(とうと)ふへし夫(それ)武勇は我國にては古よりいとも貴(とうと)へる所なれは我國の臣民たらんもの武勇なくては叶(かな)ふまし況(ま)して軍人は戦に臨(のぞ)み敵に當(あた)るの職なれは片時(かたとき)も武勇を忘れてよかるへきかさはあれ武勇には大勇(だいゆう)あり小勇(しょうゆう)ありて同(おなじ)からす血気にはやり粗暴の振舞なとせんは武勇とは謂(い)ひ難(がた)し軍人たらむものは常に能く義理を辨(わきま)へ能く膽力(たんりょく)を練(ね)り思慮を殫(つく)して事を謀るへし小敵たりとも侮(あなど)らす大敵たりとも懼(おそ)れす己か武職を盡さむこそ誠の大勇にはあれされは武勇を尚(とうと)ふものは常々人に接(まじわ)るには温和を第一とし諸人(しょにん=多くの人・衆人)の愛敬(あいけい)を得(え)むと心掛けよ由なき勇(よしなきゆう=理由のない勇気)を好みて猛威を振ひたらは果(はて)は世人(よのひと)も忌嫌(いみきら)ひて豺狼なとの如く思ひなむ(さいろうなどのごとく、おもいなむ=山犬や狼のように賤しいものに思うであろう)心すへきことにこそ
一、軍人は信義を重(おも)んすへし凡(およそ)信義を守ること常の道にはあれとわきて軍人は信義なくては一日(いちじつ)も隊伍の中に交りてあらんこと難(かた)かるへし信とは己(おのれ)か言(こと)を踐(ふみ)行(おこな)ひ義とは己か分(ぶん)を盡すをいふなりされは信義を盡さむと思はゝ始(はじめ)より其事の成し得(う)へきか得(う)へからさるかを審(つまびらか)に思考すへし朧気(おぼろげ=はっきりせぬこと)なる事を假初(かりそめ=一時の出来心で、その場限りで)に諾(うべな=承諾し)ひてよしなき(=理由なき)關係を結ひ後(のち)に至りて信義を立てんとすれは進退(しんたい)谷(きわま)りて(=進むにも退くにも、どうにも出来ず困ること)身の措(お)き所(どころ)に苦むことあり侮(く)ゆとも其(その)詮(せん)なし始(はじめ)に能々(よくよく)事の順逆を辨(わきま)へ理非を考へ其(その)言(こと)は所詮(しょせん=つまる所)踐(ふ)むへからすと知り其義はとても守るへからすと悟りなは速(すみやか)に止(とどま)るこそよけれ古(いにしえ)より或(ある)は小節の信義(しょうせつのしんぎ=一時の約束など、小さな信義)を立てんとて大綱の順逆(たいこうのじゅんぎゃく=忠孝などの大道と、不忠不孝などの大逆道)を誤り或(ある)は公道(こうどう=忠孝などの徳義)の理非に踏(ふみ)迷(まよ)ひて私情の信義(しじょうのしんぎ=私上の恩愛)を守りあたら英雄豪傑ともか禍(わざわい)に遭(あ)ひ身を滅(ほろぼ)し屍(かばね)の上の汚名を後世(のちのよ)まて遺(のこ)せること其(その)例(ためし)尠(すくな)からぬものを(=「を」は歎息の情を発する助詞)深く警(いまし)めてやはあるへき(=戒めないでよかろうか、いましめなければならぬ)
一、軍人は質素(しっそ=まじめで、じみなこと)を旨(むね)とすへし凡(およそ)質素を旨とせされは文弱(ぶんじゃく=文事=学問・芸術などに関する事柄=ばかりにふけって弱々しいこと)に流れ軽薄に趨(はし)り驕奢華靡(きょうしゃかび=贅沢をし、はででみだらのこと)の風(ふう)を好み遂には貪汚(たんお=欲深く心きたなきこと)に陷(おちいり)りて志(こころざし)も無下(むげ=非常に、甚だ)に賤(いやし)くなり節操も武勇も其(その)甲斐(かい)なく世人(よのひと)に爪(つま)はしきせらるゝ迄に至りぬへし其(その)身(み)生涯の不幸なりといふも中々(なかなか)愚(おろか)なり此風(このふう)一(ひと)たひ軍人の間に起りては彼(か)の傅染病(でんせんびょう)の如く蔓延(まんえん)し士風(しふう=軍人たるものの気風)も兵氣(へいき=兵士の気象(気性))も頓(とみに=急に)に衰へぬへきこと明(あきらか)なり朕深く之を懼(おそれ)れて曩(さき=以前)に兔黜(めんちゅつ=官職をやめさせ地位を下すこと)條例(=明治九年発布)を施行(しこう)し略(ほぼ)此(この)事を誡(いまし)め置きつれと猶(なお)も其悪習の出(いで)んことを憂ひて心安からねは故(ことさら=わざわざと)に又之を訓(おし)ふるそかし汝等軍人ゆめ此(この)訓誡(おしえ)を等閑(なおざり)にな思ひそ(=思うな)
右の五ケ條は軍人たらんもの暫(しばし)も忽(ゆるがせ=おろそかに)にすへからすさて之を行(おこな)はんには一つの誠心(まごころ)こそ大切なれ抑(そもそも)此(この)五ヶ條は我軍人の精神にして一の誠心は又五ヶ條の精神なり心誠(こころまこと)ならされは如何(いか)なる嘉言(かげん=ためになる善き言葉)も善行も皆(みな)うはへの装飾(うわべのかざり=表面の体裁)にて何の用にかは立つへき心(こころ)たに誠(まこと)あらは何事も成るものそかし况(ま)してや此五ケ條は天地の公道(てんちのこうどう=天地間何処にも通ずる公明正大の道)人倫の常經(じんりんのじょうけい=人の平生守り行うべき道)なり行(おこな)ひ易(やす)く守(まも)り易(やす)し汝等軍人能(よ)く朕か訓(おしえ)に遵(したが)ひて此道(このみち)を守り行ひ國に報(むく)ゆるの務(つとめ)を盡(つく)さは日本國の蒼生擧(こぞ)りて之を悦(よろこ)ひなん朕一人の懌(よろこび)のみならんや
明治十五年一月四日