1944年(昭和19年)3/8インパール作戦開始。4-1

2024年2月18日第2次世界大戦

インパール作戦は劣勢となったビルマ方面軍の第15軍司令官牟田口廉也(むたぐちれんや)中将による一発逆転の作戦。
 1944年(昭和19年)大本営は、ビルマ(現ミャンマー)に4方向から反攻してくる連合軍(英印軍、アメリカ軍、中国軍)の勢いを封じるため、インド側にあるイギリス軍の拠点インパールの占領を目的として、ビルマ方面軍の第15軍(軍司令官牟田口廉也中将)に作戦実行を命じた。(3/8作戦開始、7/2作戦中止命令)
 だが第15軍はこの作戦で英印軍に大敗を喫し、作戦に参加した約10万人のうち死傷者数は約7万2000(死亡約3万)といわれた。この時多くの日本兵が、雨季のジャングルで餓死、マラリア、アミ(メ)ーバ赤痢等によって白骨と化して死んだ。そのため日本兵の撤退路は白骨街道と呼ばれた。インパール作戦は、あまりのずさんさから「神がかり司令官(牟田口中将)の強行した、無謀な作戦」と言われた。
(上写真・部分-毎日新聞社)象を使って弾薬・食料を運ぶ日本軍。牟田口中将は「ジンギスカンの故知にならう」と称し、多数の馬・牛・象を軍に同行させた。車両の不足を補い、不用になった動物は殺して食べるという計画だった。しかし牛・馬はたちまちやせ細り、象はジャングルに入る前に引き返し、全くの失敗に終わった。(出典)『昭和2万日の全記録6』講談社1990年刊

(目次)3/8インパール作戦開始。4-1

★日本軍第15軍 牟田口軍司令官の目論見。9-1 ★1944年(昭和19年)1月からの各軍と各師団の配置。9-2
★第15軍インパール作戦準備(昭和18年〜)と展開命令(19年1/27)。師団の編成と火力装備。9-3 ★連合軍の作戦計画の転換とウインゲート空挺兵団。9-4

★日本軍第15軍 牟田口軍司令官の目論見。9-1

牟田口軍司令官の目論見は、6月の雨季が始まる前までに、次段地形図にあるようにチンドウィン河を渡り、アラカン山系を突進しインパールを攻略するというものである。兵士が人跡未踏の山岳地帯を3週間分の食糧・装備・弾薬等を背負って突進していった。 牟田口軍司令官自身には直近のシンガポール攻略作戦の戦勝体験から、英印軍は日本軍が突進を繰り返し包囲すれば、必ず逃げるか降伏する、という信念があった。だから3週間分の食料だけを用意すれば、あとはすべて敵からいただくと考えた。

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★1944年(昭和19年)1月からの各軍と各師団の配置。9-2

インパール作戦はビルマ方面軍の第15軍が行った作戦である。1944年(昭和19年)になると、ビルマ方面軍には2つの軍と独立混成旅団が新設された。これによりビルマ方面軍は第15軍を含め3つの軍(9つの師団)体制となった。第15軍がビルマ北西部インパール正面、第28軍(昭和19年1/30編成完了)が南西ビルマ沿岸部(アキャブ方面)から南ビルマ方面を、第33軍(昭和19年4/29編成完了)が怒江正面とフーコン方面を担任した。方面軍直轄の独立混成第24旅団は、独立守備歩兵第42大隊ほか泰緬鉄道警備隊等を基幹として編成されビルマ南東地方(テナセリウム地区)を担任した。それらの位置関係は下図のようになる。
(出典)ここでは「戦史叢書」朝雲新聞社「インパール作戦」(ビルマの防衛)から要約と抜粋を行った。

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★第15軍インパール作戦準備(昭和18年〜)と展開命令(19年1/27)。師団の編成と火力装備。9-3

第15軍(牟田口司令官)の一番重要な作戦準備は、作戦道路の構築だった。これはミイトキーナ鉄道沿線からチンドウイン河畔に至る道路の構築であり、特にジビュー山系以西の構築が問題であった。このジビュー山系以西には道路と呼べるほどのものはなく、大部分は乾季の河床道か間道にすぎなかったからである。第2に、第33師団によるチンドウイン河西岸進出とチン高地の占領があげられる。これは連合軍の反攻がインパールを根拠としてチンドウイン河西岸にまで及んできたことが背景にあった。牟田口司令官の意図は、英印軍の勢力範囲の一角に大きな楔を打ち込み、インパール作戦進撃のための基盤にしようとしたのである。

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★連合軍の作戦計画の転換とウインゲート空挺兵団。9-4

英印軍(連合軍)は日本軍のインパール作戦を探知し、作戦計画を変えた。日本軍をインパールに誘い込み、補給線が伸び切ったところで日本軍を叩くという作戦に転換したのである。他方、米・中国軍(連合軍)の本格的攻勢は1943年(昭和18年)10月末からフーコン方面より開始された。スティルウェル中将の指揮する新編第1軍(米・中国軍)である。1943年8月、スティルウェル米陸軍中将は東南アジア連合軍副司令官に任命された。これによりスティルウェル中将は、蔣介石の参謀長、中国・インド・ビルマ戦域のアメリカ軍司令官、東南アジア連合軍副司令官および米国の援蔣物資に関する米使節団長の職務を担った。東南アジア連合軍司令官はイギリス海軍マウントバッテン中将が任命された。

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Posted by hhks