1942年(昭和17年)③海軍、ミッドウェー海戦(6/5)で大敗。太平洋戦争の分岐点となる。

第2次世界大戦

アメリカによる初の日本本土爆撃(4/18)は、陸海軍に一大衝撃を与えた。それによりミッドウェー作戦は陸海軍あげての重要作戦となった。
●1942年に入ると、アメリカ空母部隊による航空機攻撃が頻発するようになった。2/1、ギルバート諸島のマキン島、マーシャル諸島のウォッゼ、クェゼリン、マロエラップ、ミレ、ヤルートなどの要地が、米空母艦載機による爆撃と巡洋艦などによる艦砲射撃をうけた。つづいて、2/20ラバウル、2/24ウェーキ、3/4には日本本土に近い南鳥島が攻撃を受けた。(左写真)ミッドウェー島の航空写真。(写真出典)「写真・太平洋戦争」雑誌「丸」編集部 編。潮書房光人社2015年刊
●海軍には、これらアメリカ空母部隊による奇襲攻撃には有効な対応策がなかった。そこで連合艦隊は、積極的にミッドウェー島を攻略することによって、ハワイから空母部隊を誘い出し、一挙に撃滅しようと考えた。このミッドウェー作戦計画は大本営海軍部の強い反対にあったが、山本五十六連合艦隊司令長官の「職を賭した」強い意向により、海軍部はこの作戦計画を認めた。
●さらに4/18、米軍機による東京空襲(ドーリットル空襲)に衝撃を受けた大本営は、海軍の主張してきた東方海上からの攻撃を現実的な脅威であることを認め、このミッドウェー作戦を陸海軍あげての重要作戦として位置づけた。
(上左写真)空母ヨークタウン。1942年6/5、ミッドウェー海戦で「飛龍」による第1次攻撃後の消火・応急修理作業。(上右写真)6/5空母ヨークタウンから発進直前のドーントレス艦爆。アメリカ軍のこの急降下爆撃機ドーントレスが、ミッドウェー海戦の勝敗を決めた。(写真出典)「写真・太平洋戦争」雑誌「丸」編集部 編。潮書房光人社2015年刊

目次
昭和17年概要
★ミッドウェー作戦の目的とミッドウェー海戦の概要6/5~のミッドウェー海戦の結果、米軍は、空母1隻、駆逐艦1隻、飛行機約150機を失い、戦死者は307名だった。これに対して日本軍は、空母4隻(赤城、加賀、蒼龍、飛龍)、重巡1隻が沈没し、飛行機322機を失った。戦死者は約3500名の多数に達したが、このなかには熟練の搭乗員約100名が含まれていた。前月5/8の珊瑚礁海戦で、海軍は米空母1隻撃沈と空母1隻撃破の戦果を挙げたが、このとき空母「翔鶴」は修理3ヶ月を要する損傷を受け、飛行機計約100機(前日撃沈された小型空母「祥鳳」を含む)を失った。さらに搭乗員は「瑞鶴」の約40%、「翔鶴」の約30%を喪失した。
●この結果、日本軍の進攻計画は頓挫し、海軍は空母部隊の再建が終わらない限り、対米攻勢作戦実施は不可能との結論に達した。本当のアメリカとの戦いが始まった。
★アリューシャン作戦ミッドウェー作戦と同時に行われたアリューシャン作戦は成功した。アッツ島は陸軍北海支隊が占領し、キスカ島は海軍陸戦隊が占領した。6/4・5、第2機動部隊の空母龍驤(りゅうじょう)と隼鷹(じゅんよう)の艦載機は、ダッチハーバーの米軍基地を空襲し戦果を挙げた。この時米軍の反撃は激しく、護衛の零戦がアクタン島(ダッチハーバーの隣の島)に不時着してしまった。パイロットは戦死したが、零戦の機体は無傷で米軍偵察機に発見され、回収された。中国戦線以来無敵を誇った零戦の神秘のベールが、アメリカ軍によって暴かれてしまうのである。

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★ミッドウェー作戦の目的とミッドウェー海戦の概要(1942年6月)

ミッドウェー作戦の目的と作戦の概略

●4/5、海軍部、陸軍部、連合艦隊は、難航の末「第2段作戦方針」を内定した。この内容は以下の通りである。

●第1期・・5月上旬、実施の遅れていたポートモレスビー攻略作戦。
●第2期・・6月上旬、米空母を誘出撃滅することを主目的とするミッドウェー作戦(同時にアリューシャン西部の要地攻略作戦)。
●第3期・・7月中旬、米豪連絡線の遮断を主目的とするフィジー、サモア、ニューカレドニア進攻作戦。
(※)日本は、上記作戦実施後、ハワイ進攻作戦を意図していたのである。

●陸軍は海軍の主張するミッドウェー作戦に反対してきたが、4/18の東京空襲(ドーリットル空襲)によってはじめて海軍の主張してきた(広域の戦略態勢をとる必要性の)意味が分かった、とされる。

ミッドウェー海戦時のアメリカ海軍陣容

●ミッドウェー海戦時のアメリカの主要兵力は、空母3(搭載機約230機)、巡洋艦8、駆逐艦17とミッドウェー基地(航空機約115機)。
●(アメリカ海軍空母の写真)下左から、空母「ホーネット」(1941年10/21竣工直後の写真)、「エンタープライズ」、「ヨークタウン」。「ホーネット」は1942年4/18、東京初空襲を実行した空母(ドーリットル空襲)、「ヨークタウン」は珊瑚海海戦(5/7~5/8)で被弾損傷したが、パールハーバーで昼夜兼行の応急修理によって戦場に復帰した。
(写真出典)「写真・太平洋戦争」雑誌「丸」編集部 編。潮書房光人社2015年刊

ミッドウェー海戦の概略

●6/5未明、第1機動部隊の第1次攻撃隊がミッドウェー島空襲へ向かった。4隻の空母飛行甲板では敵艦隊出現に備え、第2次攻撃隊(魚雷・通常爆弾装填済み)が待機していた。ところが第1次攻撃隊から、ミッドウェー島の飛行場攻撃が不十分なため「第2次攻撃の要あり」との報告が入った。そこで第1機動部隊南雲司令長官は、第2次攻撃隊の雷撃機に爆装(陸上攻撃用)への転換を命じた。
●ところがこの兵装転換作業中に、敵水上部隊発見の報告(続いて空母発見の報告)があり、指揮官は兵装の復旧を命じた。そこへ、ミッドウェー第1次攻撃隊が帰ってきた。甲板では収容作業と兵装転換作業の混乱の中、敵空母からの急降下爆撃機(ドーントレス)の攻撃を受け、わずか数分の内に赤城、加賀、蒼龍が被弾し、たちまち大爆発・大火災をおこし、後に沈没した。(転換作業中の艦内にころがっている多数の爆弾が誘発した)
●唯一残った空母「飛龍」は、敵空母に第1次・第2次と攻撃をしかけ、米空母ヨークタウンを撃破した。だが、第3次攻撃にむかう直前、またもドーントレスによる急降下爆撃を受け被弾し、後に沈没した。
米空母ヨークタウンは曳航されハワイへ向かう途上の6/7、日本軍の潜水艦伊168潜の雷撃(魚雷攻撃)によって撃沈された。下写真左から、「爆撃を回避する蒼龍」、「B-17の爆撃を受ける飛龍」、「炎上中の飛龍」(写真出典)「写真・太平洋戦争」雑誌「丸」編集部 編。潮書房光人社2015年刊

●一方飛龍が第2次攻撃隊を発進させている頃、連合艦隊は「攻略部隊」に「攻略部隊の一部兵力を持って、今夜、ミッドウェーの陸上航空基地を砲撃破壊せよ」との命令を発した。ただちに攻略部隊の第7戦隊(重巡4隻、熊野、鈴谷、三隈、最上)はミッドウェーへ向かって進撃を開始した。山本長官は、第1機動部隊の残存勢力と攻略部隊主力でもって夜戦を決行し、敵艦隊を捕捉撃滅しミッドウェー攻略を完遂しようと考えたのである。(左写真)艦上を攻撃された重巡三隈。米空母エンタープライズ機が撮影したもの(6/7)(出典)「写真・太平洋戦争」雑誌「丸」編集部 編。潮書房光人社2015年刊
●だが第1機動部隊の南雲長官は、いったんは夜戦を考えたが結局断念し、残存艦艇を退避させてしまっていた。こうして夜戦は中止となった。第7戦隊(支援隊)は、9時間にわたり最大戦速で進撃し、あと2時間足らずで砲撃開始という地点に達していた。だが21時35分、第7戦隊は連合艦隊より、砲撃中止命令と主力部隊主隊に合同せよとの電令を受けたのである。
●ところが、第7戦隊が反転して主力部隊方面へ向かう途上、米軍潜水艦と遭遇し、4隻が退避操艦をしたところ三隈と最上が衝突事故を起こしてしまった。損傷した2隻は懸命に退避を続けたが、6日朝には米軍のB-17に爆撃された。さらに7日には西進してきた米空母部隊から攻撃を受け、三隈は命中弾10数発を受け、放棄された。最上は3発の命中弾を受けたが自力で脱出した。同じ支援隊の駆逐艦朝潮、荒潮が救援に駆けつけ、三隈の生存者を救出した。
●こうして日本海軍は、米軍に対してはるかに優勢な戦艦、巡洋艦などを持ちながらも、制空権を米軍に奪われたことによって、かろうじて戦場を離脱することができたのである。ミッドウェー攻略作戦は失敗した。

ミッドウェー海戦

(映像出典)「秘録太平洋全史」日本映画新社 1975年製作。
※動画を見るときは、写真を左クリックしてください。別ページで再生されます。
また右クリックで別の方法も選択できます(mp4動画、サイズ5.93MB、2分03秒)

ミッドウェー海戦

(映像出典)「秘録太平洋全史」日本映画新社 1975年製作。
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ミッドウェー作戦とアリューシャン作戦時の海軍の編成

一覧(出典)「太平洋戦争第2巻」編者 雑誌「丸」編集部 潮書房光文社2015年刊、などから作成。

●第1機動部隊
(第1航空艦隊司令長官・南雲忠一中将指揮)(旗艦)赤城
5/27朝、広島湾を出撃
部隊戦隊等艦種別艦名等
(空襲部隊)
第1航空艦隊
第1航空戦隊(空母2)
(旗艦)赤城、加賀
(赤城)零式艦戦(常用18、補用3)、九九式艦爆(常用18、補用3)、九七式艦攻(常用18、補用3)、ミッドウェー進出用第6航空隊零式艦戦(6)


(加賀)零式艦戦(常用18、補用3)、九九式艦爆(常用18、補用3)、九七式艦攻(常用27、補用3)、6空零式艦戦(9)

同上第2航空戦隊(空母2)
蒼龍、飛龍
(蒼龍)零式艦戦(常用18、補用3)、九九式艦爆(常用18、補用3)、九七式艦攻(常用18、補用3)、二式艦上偵察機(2)、ミッドウェー進出用第6航空隊零式艦戦(3)


(飛龍)零式艦戦(常用18、補用3)、九九式艦爆(常用18、補用3)、九七式艦攻(常用18、補用3)、6空零式艦戦(3)

機動部隊の艦上機の合計●零式艦上戦闘機(72+12)、九九式艦上爆撃機(72+12)、九七式艦上攻撃機(81+12)、二式艦上偵察機(2)で合計227機(常用)+36機(補用)。ミッドウェー進出用第6航空隊零式艦戦(21)
(支援部隊)第8戦隊(重巡洋艦2)利根、筑摩
第3戦隊第2小隊(戦艦2)霧島、榛名
(警戒隊)第10戦隊(軽巡洋艦1)(旗艦)長良
第10駆逐隊(駆逐艦4)秋雲、夕雲、巻雲、風雲
第17駆逐隊(駆逐艦4)谷風、浦風、浜風、磯風
第4駆逐隊(駆逐艦4)萩風、舞風、野分、嵐
(補給隊)(油槽船、特設運送船等8)旭東丸、神国丸、東邦丸、日本丸、国洋丸、日朗丸、第2共栄丸、豊光丸
●第1機動部隊の艦艇の例
上左から、空母赤城、空母加賀、空母飛竜。中左から、空母蒼龍、戦艦霧島、戦艦榛名。下左から、重巡利根、軽巡長良、駆逐艦磯風。
(写真出典)「写真・太平洋戦争」雑誌「丸」編集部 編。潮書房光人社2015年刊

●以下は、「第1機動部隊」以外の「主力部隊」「攻略部隊」「先遣部隊」「北方部隊」の陣容である。ミッドウェー海戦では「主力部隊」はまったくの無傷で、「第1機動部隊」の空母4隻が沈没した以外は、「攻略部隊」の重巡4隻のうち「三隈」だけが沈没した。以下にあるように、これほどの大艦隊が、なぜ敗北したといえるのだろうか? 
●それは、すでに海戦が、艦隊決戦(戦艦等)ではなく、空母中心の航空機を主力とする機動部隊によって勝敗が決定するようになったからである。だがこの時点では帝国海軍は、作戦も艦隊編制も、依然として航空主兵ではなく戦艦主兵の思想が主流だった。

下

ミッドウェー海戦の敗因のひとつ
●この時点では、まだ海軍の主流は、依然として主兵は戦艦であり、空母機動部隊(航空機)は有力な補助兵力であるにすぎないというものだった。山本五十六連合艦隊司令長官は従来から航空主兵の思想を持ち、昭和9年(1934年)には既に戦艦の実用的価値は少なくなったと述べていた。だが、艦隊の編制は、依然として主要部隊は戦艦だったのである。
このミッドウェー海戦においても「主力部隊」は上記一覧にある通り、本隊は第1戦隊(旗艦)大和、陸奥、長門であり、まったく戦闘には参加せず、南雲機動部隊だけが前衛部隊として戦ったのである。空母部隊が、固有編制の機動部隊として「第3艦隊」として編制されたのは7月のことである。
●一方のアメリカは、日本軍によるハワイ空襲により、戦艦群が壊滅的打撃を受けたことにより、航空機の威力を痛感し、航空主兵の思想にいちはやく転換したのである。

「海軍航空外史」・戦史叢書・防衛庁防衛研修所・戦史室著・朝雲新聞社発行から。

★アリューシャン作戦
作戦の目的

●大本営海軍部がアリューシャン列島西部の攻略を提案した。意図したことは、南北両方面に哨戒兵力を進出させておけば、大きく開いている東方海面をふさぐことができ、米空母の日本本土近接を防ぐことができる、というものだった。作戦の目的として、昭和17年5/5の大海令第18号には次のようにある。

「アリューシャン群島西部要地を攻略または破壊し、同方面よりする敵の機動ならびに航空進攻作戦を困難ならしむるにあり」

●6/5、ダッチハーバー攻撃の帰途、空母「龍驤」の戦闘機隊の零戦はアクタン島に不時着転覆した。米軍は開戦以来無敵を誇る零戦のサンプルを探し続けていたが、ここについに完全に近い零戦の機体(古賀機)を発見回収できたのである。下がその写真。

下左から不時着転覆した零式艦上戦闘機(ゼロ戦)、輸送中の零戦、回収され整備された零戦。(写真出典)「写真・太平洋戦争」雑誌「丸」編集部 編。潮書房光人社2015年刊

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