(19世紀頃まで)朝鮮(朝鮮王朝成立~大韓帝国成立)日本(明治維新)

2022年6月3日日本・中国・朝鮮

朝鮮の「鎖国攘夷」と日本の方向転換「門戸開放」。そして日本は「明治維新」へ
 最初は日本も朝鮮も、ヨーロッパ列強に対しては「攘夷=外敵排斥」が国家方針であった。朝鮮は「鎖国攘夷」を徹底し、列強をも撃退することができた。だが江戸幕府は、列強との力の差と、清国の悲劇をまのあたりにして門戸開放へ方向転換を行った。一方「尊王攘夷」派であった薩摩藩と長州藩は、合同して武力によるクーデターよる「討幕」を決意した。その大義名分は「王政復古」であり、「天皇親政」であった。
●日本は、天皇制を根幹とする大日本帝国を築き上げていく。明治維新である。

14世紀李成桂、朝鮮王朝を建国する。19世紀頃までの朝鮮の歴史。

ここでは「朝鮮の歴史(旧版1974年・新版1995年)三省堂刊」、「朝日百科・日本の歴史近代1」・朝日新聞社1989年刊などを参考とし要約・引用した。明治維新の日本史は「日本の歴史・第10巻」読売新聞社1963年第14刷から要約・引用した。日本の昭和史は「昭和2万日の全記録・第6・7巻」講談社1989・90年刊などから要約・引用した。現代史は「激動!!北朝鮮・韓国そして日本」重村智計(しげむら・としみつ)著・実業之日本社2013年刊を抜粋要約した。

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19世紀後半日本は明治維新の激動期を迎える。(国内統一と富国強兵)

●同時期の日本は明治維新の激動期にあたる。明治政府の「征韓論」については、1873年10月の政変で、留守政府主役であり「征韓論」を強く主張した西郷隆盛らが政権を去った。しかしこの「征韓論」は、外交政策の論争ではなく、統一国家と「富国強兵」の実現のために、不満を持つ士族階級と人心を外に向かわせるための手段であったとも言える。なぜなら、この後実権を握った「征韓論」反対派であった大久保利通らの新政府も、1874年に初の海外派兵・台湾出兵(=西郷従道の独断専行と評価されている)を行ったことに現れている。

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1873年朝鮮では、大院君に対して両班層の不満が高まり政変が起きた。

1875年9月、日本軍艦「雲揚号」が「江華島」で示威行動を行い、朝鮮の開国を強要した。そして1976年「日朝修好条規(江華条約)」を締結させた。

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世界は「帝国主義(19世紀末~)」の時代に突入する

●中国や朝鮮がまだ極東世界だけに目を向けていた頃、世界は「帝国主義」の時代に突入していた。そしてヨーロッパ列強の植民地支配のやり方は、過去の重商主義の時代(武力による権力奪取や圧政による原住民の搾取)から変貌をとげ、より資本主義的な関係から実質の支配と利益を得るように変化していた。

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