1927年(昭和2年)頃まで。大正が終わり昭和となる。昭和金融恐慌。

2022年6月11日アジア・太平洋戦争

「震災手形」と不良債権問題が台湾銀行を破綻に追い込み、内閣が潰れる。
1920年代のアメリカは「神の加護による繁栄」とよばれた。第1次大戦後、1923年末には世界の金保有高の約1/2を保有したといわれたアメリカも、まもなく世界恐慌に直面する。
 日本の経済面で象徴的なことは、戦争成金といわれた「鈴木商店」の台湾銀行がからむ不正融資(癒着)による経営破綻である。この鈴木商店は当時三井物産を凌駕する日本一の総合商社となった会社であり、現在においてもその流れを継ぐ有名企業は多くある。
●政治的には、1927年(昭和2年)田中義一(陸軍大将)内閣(政友会)の成立が大きい出来事である。その考えは「対外的には軍事力を行使しても中国における権益は守ること」(山東出兵・済南事件)であり、「国体(天皇制)を変革しようとする思想は徹底的に弾圧」(共産党弾圧・緊急勅令による治安維持法改正・全国道府県に特高課を配置)することであった。
(上絵)これは中村大三郎の「ピアノ」と題された「絹本着色屏風4曲半双」に描かれた作品である。美しい振り袖姿の京都の女性が、グランドピアノを弾いている。これを「モダン」と呼ぶのであろう。まさに時代が昭和となる。制作は大正15年(1926年)であるが、12月25日が改元日にあたり昭和元年は7日間だけで、翌年は昭和2年である。

1920年代のアメリカ「神の加護による繁栄」

第1次世界大戦でヨーロッパは疲弊したが、アメリカは戦前の債務国から約100億ドルの債権国になった。そしてそのうちの90%以上が、イギリスとフランスに対するものだった。

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国内政治と経済年表。1925年(大正14年)から1926年(大正15年昭和元年)頃。

ここでは最初に、政党の経済政策の違いを述べる。日本はこの時期(1924年~1932年)、「憲政の常道」とよばれるほどに2大政党が交互に政権を担当した。政党には綱領があり基本理念があり、基本政策がある。当然ながら経済政策にも違いがあった。
●1926年12月25日大正天皇が崩御し、昭和天皇が践祚し、昭和となる。

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国内政治と経済年表。1927年(昭和2年4月頃まで)。3/4昭和金融恐慌発生

日本では昭和に入るとすぐに金融恐慌が始まり、全世界を覆う世界恐慌と続くなか、テロの続発をみる。大正から昭和の時代が、現在の日本の政治経済の骨組みを作ったことに間違いないだろう。若槻礼次郎内閣(憲政会)は、昭和2年(1927年)4月、台湾銀行救済のための緊急勅令案を枢密院によって否決され総辞職する。(昭和金融恐慌処理)

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国内政治と経済年表。1927年(昭和2年5月~)5/28第1次山東出兵を声明。

日本は、蔣介石の率いる国民党革命軍の北伐を阻止し、張作霖政権を援助するため、日本人の居留民保護を名目に出兵した。5/28第1次山東出兵声明、関東軍に出動命令。
国内では8/30長野県諏訪郡の製糸工場で「女たちの最大の争議」が起きる(山一林組で1357人スト突入)。12/20千葉県野田町で野田醤油争議(戦前最長ストライキ)が起きる。

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