(世界史)「17世紀」②(宗教戦争と絶対王政、ピューリタン革命・名誉革命)

2023年4月13日世界史

ドイツ(神聖ローマ帝国)は宗教戦争と国家戦争の舞台となり国土は荒廃する(30年戦争)
 イギリス、オランダに続き、フランス、デンマークも東インド会社を設立して東方貿易に進出する。最強国だったスペインは没落していく。その要因の一つは、カトリック(スペイン)対プロテスタントという宗教戦争にあった。そしてさらにその争いは、ハプスブルク家(スペイン・ドイツ・オーストリア)対ブルボン家(フランス)の覇権争いに発展した。西ヨーロッパは、ローマ法王による宗教的支配から国王による絶対王政の時代に変わっていく。そこで取り残され荒廃したのが神聖ローマ帝国(ドイツ)だった。
●東アジアでは、中国の明朝が滅び清国が勃興した。日本では徳川家康が、100年におよぶ諸国内乱の時代を終結させ江戸時代を創始した。しかしその後江戸幕府は、キリスト教(カトリック)に恐怖を持ち鎖国政策(対外制限政策)を行っていく。しかし日本は、オランダや中国とは通商関係にあり、また朝鮮王朝や琉球王朝とも交流関係があった。日本は海外情報・知識をオランダから得ることができた。日本の政策は、対外制限政策であって「鎖国」ではなかった。
ここでは、綿引弘「世界の歴史がわかる本」全三巻三笠書房2000年刊、綿引弘「一番大切なことがわかる(世界史の)本」三笠書房2008年刊、「クロニック世界全史」講談社1994年刊、「丸善エンサイクロペディア大百科」丸善1995年刊から要約・引用した。また「東インド会社とアジアの海」・興亡の世界史第15巻、羽田正著 講談社2007年刊、「世界の歴史第8回」中央公論社1961年刊より要約・抜粋した。また吉川弘文館「世界史年表」も参考にした。関連する写真、著作からも引用した。

★ヨーロッパ宗教戦争とドイツ30年戦争(1555年~) 5-1

ここでは、16世紀から西ヨーロッパ諸国の宗教戦争に関連する事件を抜き出した。オランダの40年に及ぶスペインに対する独立運動。フランスでは36年にわたったユグノー戦争など、カトリックとプロテスタントの宗教戦争は絶対王政が確立するまで続く。
●1648年末、ついにウエストファリア条約が調印された。30年の歳月と1千万人を越える人命、そして甚大な物的被害をあたえた戦争の総決算だった。

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★フランス王朝の歴史、太陽王ルイ14世(ブルボン朝) 5-2

ここでは、フランス王朝の系図から確認してみる。ブルボン王朝はアンリ4世から始まり、ルイ14世は第3代である。そしてフランス革命のとき断頭台に上がったのは、第5代ルイ16世とその王妃マリー・アントワネット(ハプスブルク家マリア・テレジアの娘)だった。
●16世紀からのユグノー戦争、3人アンリの戦い、カトリック改宗、ヴァロア王朝断絶とブルボン王朝成立など、王朝の系図から確認しないと関係がわからない。(出典:『クロニック世界全史より』講談社1994年刊)

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★ロシアの歴史(簡略)ロシア・ロマノフ王朝・ピョートル大帝 5-3

最初に「国別にみる世界全史」から、ロシアの歴史の一部を抜粋する。(出典:『クロニック世界全史』講談社1994年刊より)

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★ピューリタン革命と名誉革命(イギリス)。17世紀は科学の世紀(科学者、哲学者、思想家、文学者一覧) 5-4

1603年エリザベス1世が死去すると、スッコトランド王がジェームズ1世としてイギリス王として即位した。だが王は「王権神授説」をとなえ議会と対立した。このイギリス王朝についても、系図を確認しないと理解が難しい。ここでのポイントは、系図左下の⑤のエリザベス1世と、左中のメアリ・スチュアート(処刑)とその子のジェームズ1世(イングランド王)、そしてその子のチャールズ1世がピューリタン革命で処刑されたことである。
●名誉革命では、イギリス王朝の系図を再確認する。ピューリタン革命から名誉革命にかけての系図はさらにややこしい。そして、この奥底にはカトリックとプロテスタントの問題が深く絡んでおり、イングランド、オランダはプロテスタントであった。キリスト教を知らなければ理解不能であろう。

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★中国・明の成立(1368年)と明滅亡(1644)。そして清帝国 5-5

●ここでは、明の成立から滅亡に至る、皇帝の在位と業績を簡単に一覧にしてみる。明の朱元璋は、一世一元制を定め皇帝名を元号とした。(元号に○○年とつけたものを、年号という。現在中国では元号は廃止され、この制度は日本だけのものになった。)「世界の歴史No9最後の東洋的社会」1961年中央公論社を中心に要約した。

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Posted by hhks