1939年(昭和14年)9/1ドイツ軍ポーランド侵攻「第2次世界大戦勃発」。日本は欧州戦争には介入せずと表明。

2022年6月20日第2次世界大戦

日本は欧州戦争には介入せず、日中戦争解決に邁進すると表明。だがソ連と大規模国境紛争(ノモンハン事件)を起こし、敗北する。
 日本はこの時点ではアメリカとの関係悪化は避けたかった。そこで日本は先ずイギリスに圧力をかける。重慶(国民政府の遷都)攻略のために、「援蔣ルート」の一つである香港(英植民地)ルートを封鎖し、さらにビルマ(ミャンマー・英植民地)ルート攻略を計画する。
●だが1939年8月「ノモンハン事件(ソ連軍との大規模紛争)」で日本軍は大敗する。それから日本はドイツに翻弄され続ける。 同年8/23ドイツは突然「独ソ不可侵条約」を結ぶ。この日本とドイツとの防共協定違反は、平沼騏一郎内閣を、「欧州の天地は、複雑怪奇」と声明させるほどの衝撃を与え、総辞職(8/28)させた。一番驚いたのは陸軍かもしれない。
 続いて、9/1「ドイツ軍ポーランド侵攻」、9/15「ノモンハン事件停戦協定調印」、9/17「ソ連ポーランド侵攻」など、ドイツとソ連との秘密協定にからんだ一連の出来事に、日本はドイツの外交政策に不信を抱いた。そして日本は3国同盟締結に消極的になった。
●だが陸軍は、ドイツの圧倒的な軍事力によるポーランド進撃と、イギリス、フランスのドイツへの対応を見て、アジアにおいて英米仏蘭を排除し、日本による「大東亜新秩序建設」の実現の可能性を見た。そして陸軍は国をあげての反英運動を主導し、3国同盟締結に邁進していく。
●昭和14年、依然として海軍は強く3国同盟に反対していた。だが平沼騏一郎内閣は総辞職(8/28)して、米内光政は軍事参議官となり、海軍大臣には吉田善吾前連合艦隊司令長官がなった。山本五十六次官は連合艦隊司令長官に任命された。人が替わり時代が戦争へと傾いていく。(上写真)ノロ高地「進撃(一)の写真」(=ノモンハンへ進撃する部隊)(出典)ノロ高地 草葉榮著 昭和16年原本発行 昭和53年発行

★護国神社誕生。整理統合された宗教界

1939年(昭和14年)3/15、内務省令第12号によって、「招魂社は護国神社と改称」されることとなった。この意味することは、日清・日露戦争以後全国各地につくられた戦没者をまつる招魂社を、東京九段の靖国神社を頂点とする国家による地方分社(末社)の体系がつくられることを意味したのである。また4/8には宗教団体法を公布し、宗教団体を統制し国策に奉仕させ戦争協力を徹底させた。

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★弾圧される日本古代史研究(国体・天皇制)

1939年(昭和14年)国家主義者の蓑田胸喜は、雑誌「原理日本」の臨時増刊号(第15巻第11号。昭和14年12/24付)で、津田左右吉の「古事記及日本書紀の研究」などを「大逆思想」として攻撃した。「天皇機関説事件」と同じく、「天皇と国体」について疑義をはさむことは、許されざるものとしたのである。

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★大日本帝国による朝鮮支配(内鮮一体・皇民化政策)

1939年(昭和14年)11/10、日本は、朝鮮に対して「朝鮮民事令改正」を公布した(昭和15年2/11施行)。これは「創氏改名」であり、朝鮮民族は、内鮮一体・皇民化政策によって、名前、言葉を奪われていく。

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国内政治と社会年表。1939年(昭和14年)8/28平沼内閣は「欧州の天地は、複雑怪奇」と声明し総辞職。

●昭和14年(1939年)になると、近衛内閣は日本・ドイツ・イタリアによる3国同盟締結の問題で閣内不一致となり総辞職した。後を継いだのは枢密院議長の平沼騏一郎であったが、近衛文麿も無任所大臣として入閣した。この3国同盟の意見の対立とは、海軍と外務省が敵の対象をソ連だけとしたのに対して、陸軍は英米をも含めて敵とすべきと主張したことにあった。
●陸軍は、中国戦線の苦戦と長期化の要因は、イギリスによる国民政府に対する支援(援蔣ルートなど)によるものだとして、特にイギリスに対して敵対と挑発を繰り返すようになった(国内では陸軍主導による反英キャンペーンなど)。そして6月陸軍は、親日派の暗殺事件を理由に中国天津の英仏租界を軍事力をもって封鎖した。これには国民政府の法定貨幣である「法幣」のバックボーンであるイギリスに対する圧力も主たる目的の一つだった。これに対してイギリスはドイツと同様な宥和政策で日本に対応した。
 これをみたアメリカは、イギリス(チェンバレン内閣)に対してその弱気な姿勢(ドイツと同様な宥和政策)をけん制し、かつ日本に対する制裁目的で、翌年満期となる日米通商航海条約廃棄を通告した。

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1939年(昭和14年)5/11、ハルハ河付近で満州国軍とモンゴル軍が衝突。ノモンハン事件の発端

●陸軍は、ソ連との国境紛争処理に対する方針をさらに強硬なものに変えた。「・・ソ連の野望を初動において封殺・破砕す」という強硬姿勢である。そして5月ハルハ河付近の国境紛争が大規模な軍事衝突に発展した。ノモンハン事件(=ハルハ河戦争)の勃発である。
 ソ連のスターリンは3月の党大会で「・・ソ連国境に対する打撃に対しては2倍の反撃をもって応ずる」と表明していた。陸軍は、この初の本格的な近代戦において、建軍以来の大敗北をこうむったといわれる。(国民には隠された。)

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1939年(昭和14年)9/1第2次世界大戦勃発。

●1939年(昭和14年)9/1早朝、ドイツ軍がポーランドに侵攻した。ドイツ機甲師団が首都ワルシャワに向かってなだれこんだのである。
●9/3午前3時、ポーランドと相互援助条約を結んでいたイギリスは、ドイツに対して宣戦布告した。フランスも9/3午後5時ドイツに宣戦布告した。第2次世界大戦の勃発である。だが両国は交渉による解決を探っていたため行動を起こさなかった。
●9/4日本政府は欧州戦争に対する方針を決定、「日本は戦争に介入せず支那事変の解決に邁進する」と声明を出した。
●同じく9/4アメリカ、ルーズベルト大統領はラジオ番組「炉辺談話」で、「私は戦争を憎む」と欧州戦争不介入を宣言した。だがアメリカは11月、孤立主義を守るために制定した「中立法」の武器禁輸条項を撤廃し、ドイツと交戦中のイギリス、フランスに対し武器供給を可能にさせ、介入の度合いを強めていった。(4/11の記者会見では、大統領は、ヨーロッパでもし戦争が起きればアメリカは英仏側に参加と表明していた。)

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第2次世界大戦

Posted by hhks