(世界史)「17世紀」①(オランダの世紀)

2023年4月16日世界史

オランダは東南アジア進出でイギリスに勝ち、中国・日本へ向かう。
17世紀<要旨>(オランダの世紀)
●オランダが16世紀に繁栄を誇ったポルトガル・スペインに代わって、新大陸からインド・東アジア・日本に進出し、交易で巨富を得ていた。
●しかしヨーロッパはまた「17世紀の危機」と呼ばれ、寒冷による飢饉、争乱、革命、戦争の絶えない時代でもあった。
●イギリスは二度の革命を行って議会政治を確立した。
●フランスはルイ14世の絶対王政下に、領土拡大戦争を繰り返した。
●オスマン・トルコ帝国は、前世紀に続いて三大陸(アジア・アフリカ・ヨーロッパ)の要の地域を支配して強勢を保持していた。
●サファービー朝ペルシャも全盛期を迎えていた。
●インドではムガル帝国が領土を最大にして繁栄した。
●東アジアでは、漢民族の明が、北方の満州族に圧迫されて滅亡し、満州族が清を樹立して大帝国を築いた。
*綿引弘「一番大切なことがわかる(世界史の)本」

 日本とオランダの出会いと江戸時代を通じての友好関係は、徳川家康によって築かれたと思われる。オランダ(プロテスタント)がスペイン(カトリック)と独立戦争を戦っていた1600年4月、オランダ商船・旧名「エラスムス号」が九州に漂着した。この時日本は、戦国時代最後の決戦(関ヶ原の戦い1600年10月)前夜であった。家康は決戦に勝利した後、日本に残ったオランダ人のヤン・ヨーステンとイギリス人のウィリアム・アダムスの2人を家康の外交特別補佐官に任命した。
(上左絵)イギリス東インド会社。(上右絵)オランダ東インド会社(出典:両方とも『クロニック世界全史より』講談社1994年刊)
ここでは、綿引弘「世界の歴史がわかる本」全三巻三笠書房2000年刊、綿引弘「一番大切なことがわかる(世界史の)本」三笠書房2008年刊、「クロニック世界全史」講談社1994年刊、「丸善エンサイクロペディア大百科」丸善1995年刊から要約・引用した。また「東インド会社とアジアの海」・興亡の世界史第15巻、羽田正著 講談社2007年刊、「世界の歴史第8回」中央公論社1961年刊より要約・抜粋した。また吉川弘文館「世界史年表」も参考にした。関連する写真、著作からも引用した。

★17世紀はオランダの世紀と呼ばれる。 2-1

オランダは16世紀に繁栄を誇ったポルトガル・スペインに代わって、新大陸からインド・東アジア・日本に進出し、交易で巨富を築き、アムステルダムは世界の商業・金融・文化の中心となった。
またオランダは、鎖国時代の江戸幕府とも交易をもち、世界の最新情報、科学知識等を伝え、「蘭学」として日本に多大な影響を与えた。

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★イギリス東インド会社設立とオランダ東インド会社設立 2-2

1601年、1602年と相次いでイギリス東インド会社とオランダ東インド会社が設立された。特にこのオランダ東インド会社は、世界最初の株式会社の設立であったといわれる。16世紀以来、香料貿易はポルトガルとスペインで争われていたが、そこへオランダ東インド会社が参入し、ポルトガルやイギリスを排除し高級香辛料の直接取引を独占するようになっていった。

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Posted by hhks